「英語/TOEICを習得するのにはxx時間」という嘘

「英語/TOEICを習得するのにはxx時間」という嘘

とある日本人駐在員と英語の勉強の話になり、

「Koさん、すごく勉強されていますね。何時間くらい勉強すればTOEIC 900点取れますか?」

と問われました。

それに対し私は、

「『TOEIC 900点を取るのにはxx時間の勉強が必要』なんてことは、ありえません』

と即答しました。

英語/TOEICに限った話ではない

「何時間くらい」という表現をされていたので、もちろん目安の話だとは思います。

しかしながら、どうしてこういう発想になるのか私には分かりません。

 

英語やTOEICに限った話ではないと思います。

仮に私が、これまで経験してきたこととは全く関係のない分野の勉強を開始するとします。

例えば、司法書士としましょう。

 

その際に「合格するには、だいたい目安として3,000時間勉強しなくてはならない」という情報を得たとします。

まずこの時点で、3,000時間の持つ意味がどんなものなのか全く想像ができません。

理由はこれまで経験したことのない分野だからです。

 

そして、そんな想像のできない勉強時間・学習時間を鵜呑みにするでしょうか?

私には適当な嘘としか感じ取れません。

当然その理由は、約3,000時間の勉強で合格できる根拠がないからです。

 

より厳密に言うと、私が約3,000時間の勉強で合格できる根拠がないからです。

 

そう、この「xxx時間勉強すると〜」という話は全て人の話でしかありません。

それをどうして自分に当てはめることができるでしょうか?

 

更に言うと、過去の自分の経験からの数字だとしても、当てはめることはできないと考えます。

なぜならば、人は成長しているからです。

この「英語/TOEICを習得するのにはxx時間」という話には違和感を感じずにはいられません。

 

 

そもそも学習の質・アウトプットが同一でない

当然のことですが、勉強・学習の仕方は人によりけりです。

英語・TOEICでは必要な英単語および英熟語を暗記しなくてはならない場面もあり、記憶力・暗記力も人によりけりです。

 

また、過去に英文法を体系的に学んできたかどうかも人によります。

TOEICの受験歴によってもスコアの幅は違ってくるでしょう。

 

何が言いたいかというと、学習の質・アウトプットは同一ではないのです。

改めて説明することでもありません。

 

また、これをゴールが見えないマラソンに例え、「ある程度ゴール地点が見えている方が勉強しやすい」と考えることも、私はおかしいと思います。

いや、おかしいといいますか、こういう考えは勉強・学習に悪影響を与えると思うのです。

 

仮に「目安として30時間勉強すればTOEIC500点がとれる」としましょう。

毎日1時間の勉強を一ヶ月間続ければ30時間に達する見込みです。

許容範囲を10%としても27時間〜33時間でTOEIC500点が取れればこの仮説は正しいことになります。

 

そんな発想のもとTOEICを勉強し始めたとして、5時間経過時には「よし、順調だ」、10時間経過時には「三分の一まで来たな」という気持ちになるでしょう。

そして、15時間経過時には「だいたい半分だ。よし順調」と思い、30時間経過時に「よし、TOEICを受験だ」となり、無事TOEIC500点を取れたとします。

 

ここで考えてみて下さい。

 

この人にとって本当にTOEIC500点を取るのに30時間が必要だったのでしょうか?

20時間ではとれない理由は?

10時間では?

 

タラレバを言っても仕方ありませんが、最も私が言いたいのは、「目安30時間に縛られ、さらなる努力を怠ってしまっている」という点です。

 

英語/TOEICに限らずですが、30時間も100時間もかけなくとも、人並み以上の努力を行い、計5時間の勉強で結果を出してもいいのです。

いや、そもそも出すよう努力を行うべきなのです。

 

なぜ最短でTOEIC500点を出そうとしないのでしょうか。

どうして一ヶ月間勉強しなくてはならないのでしょうか。

もっと短い時間でハイスコアを出せなかったのでしょうか?

 

それもこれも「必要時間は30時間」に縛られてしまっているせいです。

ゴールが見えないマラソンと化してしまっているのは自分自身です。

 

そもそも「マラソン」を走っているとせず、「短距離走」として捉え、「一週間で全部勉強してやる」という意識で勉強すればいいのです。

勉強の必要時間目安を設定することは悪でしかないと思います。

 

 

TOEIC xxx点を取るには各Partを何問解けば?

この「英語/TOEICを習得するのにはxx時間」と類似した話で、「TOEIC xxx点を取るには各Partを何問解けばよいか」というものもあります。

これも同じです。都市伝説です。

 

極端かもしれませんが、「10問解いて結果を出す」と意気込んでも別に構わないのです。

それを必要問題数で縛る必要はありません。

この考え方自体が、TOEIC関係の教材を販売してる会社、およびそのサポーター達の戦略でしかありません。

 

TOEIC自体も、900点をさっさと取って直ぐに卒業することが望ましいと考えています。

無駄にTOEICにハマってしまう人が多いですが、それらの人は5点のスコアアップですら高揚感を覚える麻薬のような感覚と、英語という一般的に日本人が習得するのが困難とされている分野で高得点を叩き出したことにより承認欲求を抑えきれなくなった人たちが、いつまでたってもウロついている不毛の世界となってしまっていることに気付くべきです。

 

TOEIC900点オーバーの人たちが、その英語力を活かし、日本の国力として働き、世界に貢献できる状況が実現できていれば文句はないですが、実態はそうではないでしょう。

 

こういった勉強時間の算出、問題数の設定を行う人は、総じて頭がいい人の発想だと考えます。

学生時代きちんと勉強し、それなりの成績を残したの意味です。

私が出会った駐在員の人も正にそのようなタイプだと想像されます。

 

しかしながら、社会人になってからは何時間の学習だとかに縛られる必要は一切ありません。

「必要時間勉強した」「必要問題数を解いた」というのは評価に値しませんので、結果を出すまでの最短距離で走ろうとするその姿勢自体が重要なのではないでしょうか。