2000年代前半から頻繁に耳にするようになった「グローバル xxx」という言葉。
当時大学生だった私は遠く憧れの様な響きがしましたが、欧米・アジアの企業と仕事を計9年間してきた今だからこそ感じる「違和感」があります。
グローバル 英語 ≠ アメリカ英語
大学生の私にとって、世界を主導するのはいつだってアメリカでした。
欧州も中東もアフリカもアジアも結局はアメリカに追随するんです。
従いまして、私が英語を勉強していた当時の目指すべき姿は「アメリカ英語を使いこなせる人間」でした。
アメリカ英語を勉強し、アメリカへ留学し、商社マンとなった私はアメリカ企業・フランス企業と密に仕事をするようになり、学んだアメリカ英語を最大限に発揮されたと思います。
「努力した甲斐があったなー」なんて感じたのも新卒1,2年目の頃です。
そんな考えが一変したのは、現在の外資系企業に転職し、アジア諸国と仕事をするようになってから。
今更特筆すべきことではありませんが、アジア人の英語は独特な発展を遂げています。発音にしても文法にしても。
その結果、それまで仕事で通じていた私のアメリカ英語が6割くらいしか通用しなくなってしまったんです。
この時、私は激しく葛藤したことを今でも鮮明に覚えています。
つまり、「アメリカ英語話す自分を貫くべきか?」、若しくは「アジア英語を話す自分に転換すべきか?」という葛藤。
尚、この葛藤は未だにあったりします(笑) 人や国、はては企業によって使い分けているのが実情です。
顕著なのはインド人と話す時の英語。
“Hello, this is Ko speaking, may I talk with Mr. Pankaj?”
(不必要に多いスペースは、話の「間」だと思って下さい)
こんな感じでないと意思疎通がとれません。
シンガポール人とはアメリカ英語が最適、マレーシア人も一部はOK. インドネシア人とはなるべく「日本語英語」と言いますか、「インドネシア英語」のような感じでコミュニケーションを取るように心掛けています。
こう振り返るとですね、やっぱり「グローバル英語 (Globish ? って言うんでしたっけ?)」って、アメリカ英語を巧みに話せる人が使う英語のことではなく、英語を第二言語以下に位置付けている国の人達と不自由なく話せる人が使う英語なんだなーと感じてしまうんですよ。
ってか、絶対そうでしょ。言わずもがなですけど。
そんなスーパーマンみたいな人がいるのか?って話ですが、私が、商社マン時代に一緒に仕事をしていたフランス人がそうでした。
彼は2年間 千代田区一番町という超一等地に居を構え、共に営業活動を行っていたんですが、日本語英語は勿論、中国英語、アルジェリア英語、ニュージーランド英語、インドネシア英語などなどほぼ全てを聴き取ることが出来、会話を成り立たせていました。
今でもそうですが、私の中の理想のグローバル人材・グローバルビジネスマンは彼です。
でも日本では「英語を話せる人材 = アメリカ英語を話せる人材」と勝手に位置付けられてしまっている気がします。
決してダメではないと思うのですが、変に先入観を植え付けても宜しくないので、「グローバル」って言葉の意味を思い切って定義してしまうってもアリだと思うんですけどね。
言語を超える
もう一つ感じている「違和感」と言いますか、思ったことなのですが、
「結局のところ、英語 (≒ 言葉) じゃねーな」
ってことです。
・・・英語をこれだけ続けて勉強してきて何を今更・・・?って感じもしますが、そのー、何と言いますか、いくら多種多様な語彙を知っていて、色んな表現で英語を話すことが出来ても、やっぱりジェスチャーとかアイコンタクトとか、その場の空気とか、言葉以外の要素を使ってこそ、グローバル英語も価値があるんだなーなんて感じてしまうのですよ。
あと、あれですね、「伝えようとする意思」とかも。
「言いたい事があるのに、英単語が思い浮かばないから敢えて発言しなかった」
っていう無駄にカッコつけたビジネスマンを頻繁に目にしますが、そんなんじゃダメなんですよ。
単語が思い浮かばなくても、ジェスチャーだったり、写真や物を指差したりして、とにかく意思・考えを伝えるスキルってのが備わっていないと、そんなのグローバルな人なんて100%言わないですもんね。
でもまぁ、私が大学生の頃に思い描いていたのは真逆でしたけど。英語を使って、サラッと外国人とコミュニケーションをとり、商談をどんどん成立させていくような(笑)
でもね、やっぱそれは間違い。
そんなのグローバル英語でもないし、グローバルに活躍する人でも何でもない。
もちろん、全ての事を言葉だけで完結することが出来れば問題無いのでしょうが、人と人が接する以上そんなことは有り得ないでしょう。これも9年間仕事をしてきて気付いたことです。
ですので、「グローバルに活躍するビジネスマンになりたい!」と憧れを抱いている今の大学生は、変な偶像はぶっ壊した方が賢明です。
カッコつけているビジネスマンほど、会社・組織・社会に必要とされていない人材だったりしますんでね。
不変の事実はやっぱりある
そんな感じで、9年間仕事をしてから感じることは昔と比べて違和感だらけでした。
・・・なんですが、中にはその頃と変わらないこともやっぱりあります。
何かと言いますと、
「自身の国の事を理解しており、対外的にそのことを英語で説明できる人はグローバルな人材」
ってことです。
・・・まぁ、説明出来たらその時点でグローバルな英語を使える人ってことにはならないとは思いますが。
ただ、仕事上で海外の人とやり取りを一度でももったことがある人は経験有ると思いますが、初対面の外国人との会話の内容って、大抵 自国のことです。
首都はどこで、主食は何で、どんな車を使っていて、携帯電話はどこのメーカーが人気で、政治はどうなっていて、スポーツは何が人気で・・・・・。
挙げていったらキリがありませんが、こういった類の会話をポンポンと出来る人は、きっとグローバルに活躍するビジネスマンなんだろうな~って、学生時代に感じていました。
で、9年経った今でも同じことを感じます。
今の自分が自国の事を事細かく話せるレベルになっているかどうかは何とも判断し難いですが、そこは今でも目指したいとこですし、意識的に身につけようとしているスキルでもあります。
不思議なもんで、それに気付くまでは様々なアメリカ文化を食い漁っていた私ですが (= MLB・NBA・ドラマ・スタバなど) 、そう思ってからは寧ろ日本の文化に興味を持つようになってきましたもんね。
やっぱね、頻繁に聞かれる訳ですから、こっちも何かしらのネタを仕入れておこうって自然と考えるようになるんですよ。東京スカイツリーを英語で説明すると・・・とか、アベノミクスを分かり易くシンプルな単語だけで構成した文章にするには・・・とか。
ま、正解は無いんでしょうけど、いかんせん会話のネタはそんなことばかりですから、こういった自国のことを説明出来るスキルは今後も継続して学習していきたいと思っております。
さてさて、構成を何も考えず徒然なるままに思ったことを綴ってしまいました。読みにくい点がありましたらお詫び致します。ただ、こんなことを思う人間もいるってことだけ御理解頂ければと思います。