会社から語学補助が出るにもかかわらず自力でインドネシア語を話しているKoです。
既に駐在生活も2年目を迎えており、2018年3月で丸2年を迎えようとしています。
英語のそれとは違ったプロセスを歩むべく、実験的に語学習得をしていますが、今回はその途中経過報告をしたいと思います。
(実験をする理由はこちら↓の記事に)
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使えるようになればなるほど、不足箇所が浮き彫りになる
以前に書いたのは1年経った時でしたか。
生活にも慣れてきて何かと余裕が産まれてきたタイミングですね。
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その当時と比べると、今は1.5倍くらい習得率が上がっているような気がします。
4つのスキルの伸び率は以下のような感じ。
・ 話す : 30%増
・ 書く : 10%増
・ 聞く : 30%増
・ 読む : 10%増
やっぱりスピーキングですよ。
語彙が増えると断然会話量が増えます。
こう考えると英語学習もやっぱり語彙ですよね。
文法とかどうでもいいし。
語彙がないと自分の意思を伝えるのが本当に困難です。
ちなみに私は人が喋っている単語を必死に聞いて、「何それ?どういう意味?」と問い詰めます。
そして英語を知っている人であれば英語で意味を教えてくれるし、英語を話せない人であればニュアンスを伝えてくれますから。
果たしてそのニュアンスが正解なのかどうかも不明なのですが、そんなのお構いなしです。
一個一個辞書で調べている暇なんてありませんしね。
ただ、語彙を覚えれば覚えるほど、自分の語彙がまだまだ不足していることが露呈されてしまいます。
この感覚には結構驚きました。
思考回路としては、
自分の言いたいことをいえるようになった!
→ もっともっと話したい!
→ 話せるようになりたいフレーズは、アレとコレと・・・思いの外いっぱいあるな
→ あれ?こんな単語は知らないな。むむ!?こんな単語もあるの?
→ うわー、結構覚えたと思っていたけど、もっと話したいと思ったら、もっと単語を知らないと!
→ ・・・わかってきたような気がしていたけど、まだまだだな・・・。
ってな感じ。
余裕が産まれてきた一方、変な窮屈さも同時に味わっています。
これが成長に繋がる痛みならいいのですが。
日常の英語での会話にも影響が
インドネシア語を少しずつ話せるようになると、まさかのまさか、普段英語を話している時に障害が起こります。
例えば、”Is there the request for quotation in my desk?”とかって、外出中に部下に電話する時があるとします。
“There is 〜”ってインドネシア語でいうと、”Ada 〜”っていうんですよ。
もうね、”there is”よりも”Ada (アダ)”の方が遥かに言いやすいでしょ。
しかも、部下はインドネシア人だからそっちの方が理解しやすい。
となると、英語100%ではなく、15%くらいインドネシア語を交えた方が意思疎通が進んだりもするんですよね。
【関連記事】 英語上達の近道は「他言語への意識」で開かれる
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こっちも使えるようになった単語や表現はなるべく多くアウトプットして習得しちゃいたいので積極的に話すようにするのですが、意外や意外。
インドネシア人はビジネスの場においては英語を話したがります。
もちろん、究極的には個人によりますし、その企業の風土にもよると思いますが (外資系なのかどうかとか)。
ただまぁ、少し上達したといってもネイティブからしてみると ほんの5%くらいでしょ。
1年8ヶ月でこれくらいなわけですから、3年や5年駐在していたとしてもそんなにペラペラになるってわけでもなさそうですね。
実験は続く
という感じで、2017年12月時点の実験途中経過報告でした。
いつでも雇おうと思えばインドネシア語の家庭教師はつけれますし、語学学校に通おうと思えば行けます。
ですが、そうすると「詰め込みの暗記」とか「全く実用性のない会話のトレーニング」とかをやらされそうなので、今後もこのスタンスを続けていきたいと思います。
あ、ちなみに「独学」とも違いますからね。
「独学」で英語を勉強しているとかっていう人は、大抵参考書とか教材を自分自身で使っているだけです。
それって「独学」じゃないでしょ。先人の知恵を拝借しているし。
ま、「いやいや、独学だ!」って言い張るなら別にそれでもいいんですけどね。
私に関しては、インドネシア語の本も買っていません。
読む気もありません。
読んだ瞬間に「勉強」になってしまいますからねー。
「勉強しないで語学は果たして身につくのか?」
これをテーマに今後も実験を続けていきたいと思います。